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2025年3月20~21日赤岳

記録:20 日 6:00 西山天王駅→11:20 美濃戸口登山口→11:50 登山12:50 赤岳山荘→15:25 赤岳鉱泉

21 日 5:30 赤岳鉱泉→6:15 行者小屋→7:45 文三郎尾根中岳分岐手前→8:45 行者小屋→11:30 美濃戸山荘→12:45 美濃戸登山口

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美濃戸口駐車場に着いた瞬間、私は目を疑った。「これが3 月下旬の山なの?」と。想像以上の雪景色が広がっていた。新雪のような白い絨毯を踏みしめながら赤岳鉱泉を目指した。あの時はまだ、何も知らなかった。空は信じられないほど青く、翌日の天気予報も上々。「きっと山頂に立てるんだ」と、根拠のない自信が私の胸を満たしていた。Windy で風の予報をくまなくチェックした。10 時以降は強風になるという。だったら答えは一つ。早朝出発しかない。地蔵尾根を登って文三郎尾根から下山する計画を立てた。完璧だと思った。でも、山は人間の思い通りにはならない。それは山の掟。赤岳鉱泉で耳にした情報が、私たちの計画を崩した。「昨日の雪で先に進めなかった」という声が、まるで警告のように響いた。地蔵尾根は無理。文三郎尾根往復に変更した。モンベルのガイドチームも同じ結論に至ったらしい。彼らは4 時出発。私たち5 人は5 時半に宿を後にした。もし、あの時違う選択をしていたら…と今でも考えることがある。行者小屋周辺は嘘のように穏やかだった。朝日に照らされた八ヶ岳の山々は絵葉書のように美しかった。しかし、赤岳山頂は既に雲に覆われ始めていた。その動きを見て直感した。「山頂は風速10m 近いんじゃないか」と。その予感は当たっていた。森林帯を抜け、文三郎尾根に足を踏み入れた途端、風が私たちを襲った。鎖は雪に埋もれ、一歩一歩が試練になっていく。尾根を半分ほど登ったところで、下山してくる人たちとすれ違った。モンベルのグループと他の3 人。彼らの表情に既に答えは出ていた。「先に進めない」。標高2710m 付近(赤岳山頂は2899m)、中岳と赤岳の分岐点が見えてきた頃、風と霧が視界を奪っていった。「このまま進むべきか」という迷いが生じた瞬間、最後尾から声が聞こえた。「ホワイトアウトしたら帰れなくなるよ。ここで引き返そう」その言葉に、私たちは全員が無言で頷いた。下山中も前を行く人の足跡がかろうじて見える程度の視界。あの判断がなければ、この報告書は書けていなかったかもしれない。行者小屋に戻った時には、赤岳山頂は完全に雲の中に消えていた。私たちは顔を見合わせ、記念写真を撮った。南沢ルートで美濃戸口まで下山すると、前日出発した駐車場に車が待っていた。まるで何事もなかったかのように。でも、私たちは知っていた。山は今日、私たちに生きて帰る道を選ばせてくれたのだと。


 
 
 

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